1990年、成蹊大学経済学部卒業。新卒で第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。2002年、社会福祉法人ふるさと福祉会東京多摩学園入職。2005年より園長就任。
私の弟は生後2か月で幽門狭窄の手術を全身麻酔で行い、それが原因で知的に障害を負うことになりました。すぐに障害が分かったわけではなく、その後成長するまで分からなかったのです。
ある日の夜中に父が弟を抱いてすすり泣いていたのを覚えています。あの時知らされたのでしょう。当時はまだ知的障害への理解は得られず、本人はもちろん家族の悲しみや苦しみもあまり言えませんでした。
父と母が施設を運営し、知的障害者とその家族を必死に救おうとしている姿を見て、私もやらなくてはと決心し、勤めていた銀行を退職しました。自分の身の回りのことができない弟の世話をしてきたので、仕事の大変さは承知していましたが、障害をもつ弟の家族としては、最大限努力しなくてはという気持ちと、私がやらなければという使命感もありました。ただ父母に相談せずに辞めたので、あとで怒られました。
現在、外国人労働者を10名ほど採用しております。ミャンマー、インドネシア、ネパールの方が働いてくれているのですが、文化や人種が異なる中で、知的障害のある利用者さんを守ろうという強い気持ちを感じます。
業界的に人材不足が課題となる中で、コロナ渦を乗り越えることができたのも、外国人労働者の力があってこそでした。彼らは何年間か日本で働き、蓄えた資金で自国に戻って農家を営んだり、事業を始めたりするという目標をもって日本に来ております。Win-Winの関係が築けるのです。
日本はまだまだリーダーシップを取ることのできる国だと思います。だからこそ人間力を磨き、日本経済の発展に繋げていくべきだと考えております。
持続可能性というのは、人と人との「優しさ」の関わりが重要だと考えております。
世界中で戦争が勃発している情報が耳に入りますが、お互いに優しくなれることが、持続可能な社会の実現に必要不可欠なのではないでしょうか。経済的な価値基準だけでは社会は行き詰まり、自己利益を追求することに偏った社会では持続可能な社会の実現は難しいように思います。
このようなことを、知的障害などのハンデを持って生まれた方から気づかされます。私たちに、何を変えられるかはわかりませんが、私が目の当たりにしている日常をより多くの方に知ってもらい、「優しさ」の重要性を広めていきたいですね。
私たちの父母の時代は、戦争に負け、世の中の価値観が180度転換しながらも、懸命に働き、今の日本の土台を築き上げました。私たちの世代は平和な時代しか経験していませんが、ここ20年の文明の進歩と反比例して、人の心が荒れてきているような気がします。
私が一番心配しているのは、知的障害のある人たちは、心ある人がいないと幸せにはなれないということです。今の時代、見たくないものは見なくて済みますし、人の心などの見えないものは信じられない時代でもあります。
それでも尚、若い人しか感じられないことがたくさんあります。機会があれば、人の苦しみや悲しみに触れていただき、ときには涙を、ときには怒りを感じながら、自分の苦しみや悲しみさえも表現できない人たちもいることを心の何処かにとどめて欲しいと思います。若い人たちが優しさと強さを持ち、この国が良い国であり続けることを願います。