水谷重夫
mizutani shigeo 水谷重夫 テラレムグループ株式会社 代表取締役社長 https://tr-g.co.jp/

Profile略歴

1980年、三菱商事 機械部門に入社。
1986年、カラチ支店駐在、1989年イスラマバード駐在事務所駐在。
2000年、ジャパンウォーター 代表取締役社長。
2010年、荏原エンジニアリングサービス 代表取締役副社長。
2013年、水ing 代表取締役社長を歴任後、2020年に市川環境ホールディングス(現 テラレムグループ)代表取締役社長に就任。

現在の仕事についた経緯

三菱商事入社時の担当業務は荏原ポンプとクボタトラクターの輸出業務でした。入社後の20年間は海外の中近東、アフリカ、中南米、東南アジアなど途上国向けの水・環境プロジェクトに携わり、そこでの経験が地球環境問題に関連する事業会社の経営に携わる大きなきっかけとなりました。
2000年以降は国内に軸足を移し、三菱商事と日本ヘルス工業の合弁で、まずジャパンウォーターを創業しました。その後2007年に三菱商事の水環境部長に就任し、水事業として荏原製作所・日揮・三菱商による3社合弁事業の水ingを立ち上げた他、資源循環(リサイクル)事業として市川環境エンジニアリングとバイオエナジー社やエム・エム・プラスチック社などを一緒に創業しました。
そのことがきっかけで、2020年から当社の経営に携わるようになりました。

仕事へのこだわり

「一期一会」
学生時代に打ち込んだラグビーを通じてノーサイドの精神を学び、多くの知り合いができました。常日頃から付き合いがある皆さんと誠意をもって接し、人との縁を大切にしてきた結果、仕事が上手くいくことも多くあり、いろいろな縁に恵まれました。
入社当時、担当であった2社とそれぞれ30年後に荏原製作所と水ingを、40年後にクボタとテラレムグループを株主としてご一緒する縁に恵まれたことは「一期一会」の賜物と思っています。

「ミッション・ビジョン・パッション」
当社は50周年を機に、社名を「テラレムグループ」に変更しました。「Terrarem」はラテン語で地球・大地を意味する「Terra」と修復・救済を意味する「Remedium」を組み合わせた造語です。石井邦夫創業者の「地球環境に貢献する企業」という想いを表しています。会社ロゴも、森林と大地と水と空気から成る地球を表し、これらをテラレムの社員が抱え込んで守っていくことをイメージしています。
当社の存在意義であるミッションは「かけがえのない生命を育む、地球を守り続ける」、企業目標であるビジョンは「日本で最も存在感のある地球環境貢献企業グループになる」としています。このミッションとビジョンを社員の皆さんに機会あるごとに提唱し続けて、仕事をする上で一番大切な「夢を抱き 情熱と熱意」、つまりパッションを持って業務に取り組んでもらえるように情報発信に努めてきました。

「SDGs」についての取り組み・考えなど

当社グループでは「資源とひとを未来につなぐ」をモットーに、廃プラ・紙くず・木くず・繊維くずなどの廃棄物を種分けの上で、破砕・選別・造粒処理により「固形燃料(RDF)製造事業」を国内で初めて稼働しました。それを皮切りに、家庭から排出されるプラスチック製容器包装をリサイクルし高品質な物流パレットを製造する「プラスチックリサイクル事業」、食品廃棄物を利用してバイオガス発電を行いグリーン電力を供給する「食品リサイクル事業」など様々な資源循環事業に取り組んで参りました。
2050年には世界の化石燃料および鉱物資源の枯渇問題が深刻化し、資源のリサイクルが不可欠な時代となります。増え続ける世界人口とは逆に日本は人口減少が加速化し、超高齢化社会がさらに深刻になります。当社グループでは人材不足や従業員の高齢化などの影響を受けることを想定し、これまでの現場経験とノウハウを活かし、DXを組み合わせた無人化対応や遠隔操作など、新たな廃棄物処理システムの開発を進め、資源循環とDX戦略を統合したGX(グリーントランスフォーメーション)戦略を実行していきます。
また、循環経済への移行に向けて、これまでの静脈産業との連携に加えて、動脈産業企業とのパートナーシップも推進し、多様な再生可能資源エネルギーの利用・原材料化・再製品化に取り組み、脱炭素社会・持続可能な社会の実現に貢献していく決意でいます。

若者へのメッセージ

「失敗を恐れず、新たなことに挑戦」
入社当時、初めて臨んだアフリカのナイル川灌漑用のポンプ輸出の国際入札での失敗がその後の糧となりました。結果は初受注だったのですが、見積内容を精査したところ、附属品や部品の価格を含めない本体価格だけで応札し、赤字受注になっていたことが判明しました。その状況をメーカーの方に正直に説明したところ、特別に値引きして頂き何とかピンチから脱却できました。この経験から、見積提出時は必ず入念にチェックしてから提出する習慣が身に付きました。
この特別値引きへの倍返しとの思いで、その後中東の水のない国々に荏原ポンプを売りまくりました。当時のサウジアラビアは100%小麦の輸入国でしたが、砂漠の地下深いところにある大量の化石水層から水中ポンプで水を汲み上げて小麦を生産するプロジェクトが企画されました。その壮大な計画を手掛けたパートナー企業がサウジアラビアを小麦輸出国へと変貌させ、今では中東最大の水電力事業会社へと成長拡大しました。同社会長とは同氏が40年前に日本からのエンジンと水中ポンプの輸入交渉の為に初訪日した時からの旧知の仲となり、彼の大望に応えたことで大量のエンジンと水中ポンプ輸出が実現でき、サウジアラビアの砂漠農地化実現にも貢献できました。
成功の裏には必ず失敗があって、そこで得た教訓を乗り越えて大成功に繋がることを体現してきました。これまで、失敗を恐れて挑戦をしないことは、新たなことに挑戦をして失敗した時の100倍後悔するとの思いで、新たな仕事に挑戦し続けてきました。
皆さんも間違いや失敗を恐れず、仕事にチャレンジして自分の夢の実現を目指してください。